続キロクマニア

おいしいもの たのしいこと まいにちのきろくです

長崎に来たら「グラバー園」で歴史を感じたい

みなさま、こんばんわぁあです

 

今週はいつもに比べたら

通勤も仕事も、家事もラクしてるのに

身体がどーーにも重たいです…

なんか、もわもわします

気圧病かなぁー

元気出していかなきゃー!

 

 

連日お届けしております

5月某日

久しぶりに、飛行機に乗って

熊本空港〜佐賀の武雄温泉を経て

長崎に来ておりました

 

佐世保から、南下して

長崎市内へ向かいます

 

 

長崎市内には

もうずいぶん昔

親友と旅行で来たことがあります

なぜ、長崎だったのか、忘れたけれど

結構ゆったりとした日程で

5日間ぐらい、ずーっと市内で

チンチン電車を乗り回して

隅々まで、見てまわったことがあります

 

良い思い出ばかり

大好きな町なんです

 

相方は、初めてということで

是非、良さを知ってほしいな〜ということで

改めて、長崎のまちを観光することにしました

 

 

 長崎といえば、まずここかな

グラバー園」にやってきました

懐かしいぃぃい

 

江戸幕府

アメリカ、オランダ、ロシア

イギリス、フランスの5ヵ国と

修好通商条約を結んだ1858年(安政5)

その翌年には、200年以上続いた

出島のオランダ商館の歴史は幕を閉じ

条約により開港都市となった長崎には

外国人商人が集まり

生まれた「居留地」のひとつが

ここ、グラバー園です

 

 

入場券が、お札みたいになってます

グラバーさんの肖像画です

 

入園料は、1人620円ですが

敷地も広大で、見どころも多いため

決して高くないと思います

 

 

グラバー園の中には

元からこの敷地内にあったものと

市内にあった洋風建築を移築したものとがあり

こちらは、移築されたもの

「旧三菱第2ドッグハウス」です

 

1896年(明治29年)に

三菱造船所の第2ドッグのそばに建てられた

外国人乗組員専用の宿舎だそうです

 

 

グラバー園の名前の由来となった

トーマス・グラバー氏は

郵便汽船三菱会社の社長であった

岩崎弥太郎氏と関係が深かったようですね

 

 

なんと素敵な宿舎だことよ

もともとは、飽の浦町、というところに

建っていたそうですが

今はグラバー園の中でも

一番の高台に建っていて

部屋の窓からも、海を眺めることができます

 

 

こちらはテラスからの眺め

つねに心地よい風が吹いていて

とっても気持ちいいです

 

ここに住みたいわ〜♡

風の通る、海が見晴らせる家、憧れる〜

 

 

こちらは「旧ウォーカー住宅」

明治中頃に建てられたものですが

大浦天主堂横の祈念坂沿いにあったものを

こちらに移築してきたそうです

 

ロバート・ウォーカー二世の邸宅で

お父さんは

「ウォーカー商会」という会社を立ち上げ

海運業や、貿易業

「バンザイ清涼飲料工業」などを経営

お兄さんは

横浜で、「キリンビール」の前身である

「ジャパンブルワリカンパニー」を設立する等

華々しい家系でございますよ

 

 

他の邸宅に比べると

こじんまりとしてると思ったら

移築前には

トイレや風呂や和室もあったそうですが

洋風建築の部分だけを持ってきたそうです

 

中には結構家具が沢山置かれていて

それが当時のものなのかわからないですが

素敵な暮らしが垣間見えますね

 

どの家も、光が沢山差し込んで

風が抜けて気持ちいいんだわ

 

 

こちらは

フリーメイソン・ロッジの門」

あら、こんなものが日本にもあったんですね

 

世界を裏で操ってるのでは、など囁かれ

今ではすっかり有名になった

フリーメイソン

元は、中世のイギリスで数々の大聖堂を建てた

石工が組織した友愛団体です

長崎のロッジ(集会所)は1885年に発足し

三菱長崎造船所に勤めるイギリス人が

会員の多くを占めていたそうです

活動は、1919年まで

建物は取り壊され、門だけが残され

旧リンガー邸の横に移築されました

 

門には今も

定規とコンパスのシンボルマークを

見ることができます

 

トーマスグラバーやフレデリックリンガーが

会員だった痕跡は無いそうですが

なかなか興味深いですね

 

 

次は、「旧リンガー住宅

これは、もともとここに建っていたもので

県指定の重要文化財になっています

1868年(明治元年)頃に建てられました

 

 

グラバー商会で

長崎の製茶と輸出を任されていた

イギリス人のフレデリック・リンガーが

親子三代三代にわたって暮らしたそうです

なんだか金持ちの匂いがする!

 

 

お庭からの眺めがこれまた最高

海と風が気持ちいい〜

 

まじで長崎に住みたくなるな…

 

 

バラもキレイに咲いてました

 

あ、ちなみにね

旧オルト住宅」は、復旧中でしたよ

昔見たんですけどね

今は足場だらけでした〜

 

 

こちらは、「旧スチイル記念学校」

明治20年に建てられたものを移築

 

中はがらーんとして

文や写真の資料以外は展示はありませんでした

 

 

あ、「西洋料理発祥の碑」です

これは、昔来た時も写真に撮ったな〜

 

長崎はさりげに、発祥の碑が多いです

日本のボウリングやら、鉄道やら

バドミントン伝来の碑もあった気がする

 

さすがに早くから

世界にひらけていただけのことはあります

 

こーゆーところも

日本海外放浪してきたワタシが

長崎に惹かれる理由なのかも??かな??

 

 

お隣の建物がカフェになってました

「旧自由亭」

前来た時から開業してたそうだけど

全く記憶がないな〜笑

 

日本人初の西洋料理店シェフ

草野丈吉のレストランを移築したものです

 

草野丈吉氏は

出島のオランダ総領事で西洋料理を習得し

その後1863年文久3)に

日本人初の小さな西洋料理専門店

「良林亭」を開業し

長崎奉行の外国人接待や内外の貴賓

地元高官などの社交の場となっていたそうです

 

グラバー園に残る「旧自由亭」は

丈吉が1878年(明治11)に

長崎市馬町で開業した西洋料理店で

死後、自由亭は廃業しましたが

検事正官舎として使用されていたそうです

 

 

改築などが繰り返されているので

西洋料理店ではなく

検事正官舎としての状態で残されてます

 

現在、喫茶室になっている部屋は

応接室だったそうですよ

 

 

なんだか、控えめだけど

オシャレで可愛いステンドグラス

品が良いですね〜

 

せっかくなので、お茶することにしました

 


 うわぁあ、めちゃ素敵!!!

来て良かったな〜♡

 

 

なんだか素敵な飲み物を注文しましたよ

 

左側は、相方の

"ダッチアイスコーヒー" 700円

右側は

"紫陽花ゼリーソーダ" 800円

 

京都の「ソワレ」を彷彿とさせる

なんとも美しい飲み物です

 

kiroku-mania.hatenablog.com

 

こちらの方が単色な分

オシャレ度がより高い感じします〜

 

 

それと

"クランベリータルトパイ" 750円

グラバーさんの故郷

スコットランドの伝統菓子です

 

 

クランベリーがふんだんに使われてて

観光地のケーキにしたら

とてもしっかりと作られています

美味しい♡

 

そして、コーヒーがめちゃくちゃ美味しい

水出しのコーヒーなので

変な酸味やえぐみがなく

深いコクと風味が良く、後味もスッキリです

 

 

ワタシは、長崎らしく

"長崎カステラ" とのセットにしました

単品だとカステラは550円なので

800円+550円=1350円が

セットだと1200円になるんです〜

 

ちなみにセット料金があるのは

カステラだけなんです

 

カステラは

長崎カステラの中でも高級な "五三焼"

卵の黄身の割合が多く

しっとり風味が良いんです

 

 

いやぁあぁあぁ

なんだか、すごく良い時間だった

美味しかったし

ゆったりとした時間が流れていて素敵だった

 

そうそう

こちらはスコットランドに因んで

なにかタータンチェック柄を身につけていると

割引があるそうですよ!!

皆様、ぜひぜひ!!

 

 

そして、最後は

「旧グラバー住宅」です

 

スコットランド出身の

貿易商人トーマス・グラバーの邸宅で

今では

明治日本の産業革命遺産」の構成遺産として

世界遺産に登録されました

 

 

現存する日本最古の木造洋風建築です

ほんとうに、瀟洒で素敵な建物です

 

さすがに、ここは、よく覚えてますよー

ワタシが来た時より

キレイに塗り直されてるかな??

 

昔って、なんか蝋人形みたいなの

置いてませんでした??マジで…

幕末の志士的なやつ

薩摩藩五代友厚かな…?

なんか坂本龍馬もいた気がしたんですけど

すっかり無くなってましたね

当時の写真、ネガに無いかな〜

(写真は捨てられてしまってるのです)

 

志士を匿ったという天井の隠し部屋も

実は、事実ではないらしいですしね

 

 

風通しがよくて、本当に気持ちがいい

お庭もキレイなんですよね〜

ここに住みたいです〜

 

 

グラバーさんの胸像

碑文を、紹介代わりに貼っておきます

 

 「英国人トーマス・ブレーク・グラバー安政6年(1859)長崎に来て貿易業を営むかたわら近代的な造船・掘炭・製茶などの事業をおこしわが国産業の発展に貢献した。その間特に薩長土肥の諸藩に協力して明治維新の大業に寄与した。その偉功により勲二等旭日章を授けられ明治44年(1911)73歳で永眠した。ここに胸像を建てその功績を永く顕彰する。」

 

 

グラバー住宅は

(昔はグラバー邸と、呼んでましたよね)

トーマス・グラバー

三菱の顧問として東京に移住した後は

妻ツルとの間の息子である

倉場富三郎とその妻ワカが住んでいました

部屋のインテリア等は

他邸宅や、グラバー家に残された写真などから

復元されたそうです

 

倉場富三郎氏は

日本に初めてトロール船を導入し

それが良かれ悪かれ

日本の漁業業界に革命を起こし

長崎の近代漁業化に貢献したのですが

昭和初期の長崎は戦時色が深まり

英米と関係ある人々は

肩身の狭い思いをするようになったようです

  

 

こちらは、キッチンです

すごい、床が全部レンガなんですよね

しかも細く縦に敷き詰められています

耐火と、水捌けも考慮されてるのかな??

なんか素敵です〜

 

 

こちらは(下の写真)は

お茶煎り場と、馬屋です

色々残されているんですね

 

 

トーマスグラバーの息子である倉場富三郎氏は

のちに悲しい運命を辿ります

 

昭和14年(1939)に第二次大戦が勃発し

三菱長崎造船所に邸宅を売り、南山手に移住

その数年後に、妻のワカが急死

 

孤独になった富三郎さんは

同20年(1945)8月9日

長崎の北部で原子爆弾がさく裂した時

倉場富三郎は家の中で被爆

そして終戦後わずか数日後の26日に

南山手の自宅で自らの命を絶ちました

 

将来を悲観したというよりは

自分はイギリス人なのか、日本人なのか

どちらに付くべきなのか

アイデンティティに悩まされていたようです

 


華やかで素敵な洋風建築の影で

こんな悲しい歴史もあるのですね

 

今回、紹介しきれなかった見どころが

他にも沢山ありますよ

そう思ったら、入園料安いです

長崎に来たら、是非

グラバー園をゆっくり歩いてみてくださいね

 

長くなった〜疲れた〜笑

今日も、読んでくださって

♡ありがとうございました♡