みなさま、こんばんわぁあ〜です
今日は、なかなかの長編です
みなさま、スクロールの準備を!
興味のある方はぜひ読んでください♡
12月某日
この日は相方といそいそと出掛けてきました
京都・岡崎にある
「京都市京セラ美術館」です
京都市京セラ美術館は
現存する日本の公立美術館の中では
最も古い建築なのだそうです
1933年に建てられ
第二次世界大戦をまたいで80年ほど
帝冠様式を代表する建築として愛されています
お庭もあるんですよ
外には出てないのですけど
山が借景になって、美しいのです
今、京都市内で
これだけゆったりとした贅沢な空間は
なかなか作ることはできないと思います
古くからある建築物ならではですよね
この日は
「アンディ・ウォーホル・キョウト」展に
やってきました
昨年9月から、今年の2月まで
5か月もの間開催されていた
京都市京セラ美術館の企画展です
避けては通れないアーティストですよね
ワタシは、リアルタイムではなく
死後、あれこれ見たり聞いたりと
後追いした世代ですが
若い時に、わかったようなフリして
ハマったことがあります
今回の展示は
「アンディ・ウォーホル美術館」から
200点以上の素描・ 絵画・彫刻・映像作品や
アーカイブ資料などで構成される大回顧展で
出展作品のうち
100点以上が日本初公開でした!!
まずは
1950年代、ニューヨークでの
商業イラストレーター時代から
時系列を追って、紹介されていました
好きな作品、いっぱいあるなぁ
商業イラストとしては、珍しい
金箔や銀箔を使った作品も多数ありました
ワタシは、この頃の作品も好き
アジアで目にした品や装飾品に影響を受けて
金箔を使用するようになったと言われています
ウォーホルは
1956年と、1974年の二度にわたり
京都を訪れているそうです
滞在中は、 神社 仏閣や人々の生活など
数多くのスケッチを残していて
京都の伝統文化や街並みは
若きウォーホルに刺激を与え
後に着想の源泉として
彼に大きな影響を及ぼしたと言われています。
勉強不足のせいか
こんな作品を
これまで見たことはありませんでしたが
今回は「京都との繋がりを辿る展覧会」として
沢山の展示がありました
清水寺や、舞妓さん、僧侶
ラフなスケッチは
有名なアンディウォーホルの
シルクスクリーンでの画法とはまた違って
より生身に近い、というか
「熱」のようなものを感じますね
こちらは
葛飾北斎の大波図
「神奈川沖浪裏」の引用です
「モナ・リザ」や 「最後の晩餐」など
誰にでも馴染みのある有名作品を選び
版画技法で表現する
ウォーホル作品らしいですよね
作品制作中の写真などもあり
氏の写真もあります
もう存在自体がアートなんですね
このあたり、1961年頃から
ワタシたちがイメージする
ウォーホル作品
キャンパス画、版画+シルクスクリーン印刷
が登場するようになります
うーん、素敵
この作品は有名ですね
このシャネルの香水の広告は
あまりにも有名です
ブランド側もずいぶんと気に入ってたとか
「広告:Macintosh」の説明が楽しかったので
ここで、ご紹介します
↓↓↓
コンピュータが大好きだった。
1985年の夏には、
コモドールインターナショナル社から
家庭用コンピュータ「Amiga 1000」を
贈呈され、 初めてコンピュータを手にした。
新製品のお披露目のライブイベントで、
ウォーホルは満員の観客を前に、
同社の新しいソフトウェア
「プロペイント」を使って
ロックバンド「ブロンディ」のボーカル、
デボラ・ハリーの肖像画を描いてみせた。
また、その前 年の秋、
ショーン・レノンの誕生会に招かれて
オノ・ヨーコ邸を訪れたウォーホルは、
日記にこう書き残している。
「ショーンが誕生日にもらった
アップルの「マッキントッシュ』を
起動させている若者がいた。
それで、いつだったか、
僕にマッキントッシュを贈りたいと
何度も電話をかけてくる男がいたけど
返事はしなかったと話し始めたら、
その若者は顔を上げて言ったんだ。
『それは僕ですよ。
スティーブ・ジョブズと申します』」。
その晩、
アップル・コンピュータの使い方を
彼から習ったウォーホルは、
日記でさらに告白している。
「この若い天才発明家のそばにいて、
自分がどれほど歳を取り、
時代に遅れているかを実感したよ」。
そして、ウォーホルの作品で
いちばん有名かもしれない
「キャンベルスープの缶」
発表された当初は
「抽象表現主義の技術や哲学を侮辱している」
「こんなのは芸術ではない」
とかなんとかで
ずいぶん批判もあったようですが
同時に
ウォーホルの知名度を上げることになりました
大量生産された商品など
大衆文化からインスピレーションを受け
擬似工業的なシルクスクリーン印刷で
作品を制作し
美術を大量生産しているイメージを与え
抽象表現主義に異を唱えるのが
目的のひとつだったともいえます
1962年、最初の個展で発表されたのは
「32のキャンベルスープの缶」で
当時実際に発売されていた
32種類のスープ缶を描いたものですが
こちらは
その後に描かれたもの
9種の味が展示されてましたよー
ずらりと並ぶとなお可愛い
洗剤パッドの「Brillo」のパッケージを
正確に模造し、再現した
「ブリロ・ボックス」もありました
相方は、このあと
スーパーでキャンベルスープを購入してました
なにかの暗示にかかってしまったらしい
こちらは、1966年に
レオ・キャステリ・ギャラリーで開催された
ウォーホルの《銀の雲》へのオマージュ作品
現代的な解釈で制作された作品で
ウォーホルのオリジナル作品ではありません
でも、この
金属化プラスチックとヘリウムガスで
ふわふわと浮かんだり沈んだり
触れることのできる銀の雲+映像は
今なお盛んな没入型アートの先駆けですね
アンディ・ウォーホルの作品で
スープ缶と同じぐらい有名なものとして
肖像画が挙げられます
ウォーホルに描かれることが
ある種、有名人のステータスのようなもので
ミュージシャン、俳優、政治家など
数々の作品を描きました
写真の、プリンスやビートルズ
先日お亡くなりになった坂本龍一さんも
こちらは、日本初公開
1962年「三つのマリリン」
説明文を載せておきます
↓↓↓
銀幕の女王マリリン・モンローの
予期せぬ悲劇的な死 (1962 年8月) に
触発されたウォーホルは、
写真製版によるシルクスクリーン印刷という
最新技法を用いて、かの有名なマリリン像を
次々と生み出していく。 もととなったのは、
映画「ナイアガラ」の宣伝用スチル写真を
トリミングしたものだった。
ウォーホルはこう述べている。
「ポップ・アーティストたちは、ブロードウェ
イで目にするような、誰もが一瞬にしてわかる
イメージを描いたのさ。 漫画、 ピクニックテ
ーブル、男性のズボン、有名人、 シャワーカー
テン、冷蔵庫、コカ・コーラの瓶 こうした現代
のあらゆる偉大なものを、抽象表現主義の画家
たちは決して見ようとしなかったんだ」。
無表情でこちらを見つめ返す
虚ろな顔の自画像シリーズ
この、髪が逆立つかつらの姿は
ウォーホルの象徴ですよね
カモフラージュ柄の自由の女神です
静物 (ハンマーと鎌) 1977年頃
「ハンマーと鎌」シリーズは
1976年のイタリア旅行中に目にした
旧ソビエト連邦の国旗に取り入れられた
シンボルの落書きが元になってるそうです
だんだんと、ウォーホル作品に
死の影が滲んできます
この「ツナ缶の惨事」 は
ツナの缶詰を食べて中毒死した事件から
着想して制作されているそうです
前出のキャンベルスープの缶も、どちらも
アメリカの消費文化を象徴する製品ですが
革新的な技術によって保存された食品にも
死の恐怖が潜んでいることを
示唆しているのだそうです
頭蓋骨の絵画や、十字架の絵画
こちらは、アンディ・ウォーホルの
「最後の晩餐」
彼は、敬虔なカトリックの家庭で育ち
幼い頃から教会に通い
ニューヨークでも教会に通っていたことは
一部の仲間にしか知られていませんでした
色々な解釈がされるこの絵ですが
1987年
「最後の晩餐」がある
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会と
通りを隔てた会場で、この絵が展示され
それを見届けたウォーホルは
1か月後に亡くなりました
非常に見応えのある展示でした
美術展に行ったら、必ず買う
図録と、手ぬぐいを購入
他にも色々欲しかったんですけどねぇ…
エコバッグは、ギリギリまで悩んで
やめてしまいました
物欲を抑えるの、うまくなった
(この年で、ようやく)
でも、なんでか買ってしまうんよな〜
手ぬぐい…笑
美術展関連では、10枚ぐらいあるかも
相方がクリスマスに買ってくれた絵
(もちろん、本物ではありませんよ)
ストレートで素朴な絵と文字は
あまりウォーホルらしくはないのかもだけど
ハートのスタンプの反復は、それらしいし
展示の中でも
ワタシはとても素敵だと思っていました
この頃の作品のほとんどが
絵中の文字は
ウォーホルの母親のレタリングだそう
そんなエピソードも楽しい
ありがとうねぇ♡嬉しい
あらあら、ほんと、長くなりました
ついつい、語ってしまいました
要点を得ないことで、ごめんなさい
みなさん、飛ばし読みしましたか!笑
今日も、お付き合いいただき
♡ありがとうございました♡