続キロクマニア

おいしいもの たのしいこと まいにちのきろくです

日本最北端「宗谷岬」にキター!

みなさま、こんばんわぁあです

 

はぁあぁぁあやっと

今週の仕事、終わりましたぁあ

なんだか長く感じたなぁ

 

週末は相方も仕事だし

実家にも帰らずどこも行かず

ゆっくり過ごしたいと思います

 

 

5月某日、北海道のたび

 

前日夕方に新千歳に到着し

当別で、ジンギスカンを食べ

札幌で、シメパフェを食べ、宿泊

朝には、二条市場でお寿司を食べ

昼は、留萌で、スープカレー

なんやかんやワイワイと北上してきました

 

これだけの旅程で

今日までブログ10回分を費やしてしもた

いや、丁寧に描きたいのよ北海道

 

 

そしてそして

ようやく到着いたしました

 

日本最北端の地「宗谷岬

「日本最北端の地の碑」にやってきました

 

いやぁあぁあぁ感慨深いです

ってか

めちゃくちゃ寒いやないの!!!!!

暴風ですやんか!!!!

もう5月も半ばになろうかというに

こんな寒いの?!!!

 

さすが、日本最北端だなぁあ〜

この寒ささえ嬉しくなる

 

有人島での日本最南端である「波照間島」と

日本最西端の「与那国島」には

八重山諸島に住んでいた頃

何度も行っていたので

いつか最北端にも行ってみたいなと思ってました

 

 

この碑は

北緯45度31分22秒

宗谷岬の突端、まさに日本最北端に位置してます

 

稚内市のHPによると

北国のシンボル北極星の一稜をかたどった

三角錐をデザインしたもので

塔の中央にあるNの文字は「北」を

そして台座にの円形は

「平和と協調」を表しているのだそうです

 

ワタシと相方も、2人で手を合わせ

北極星の一稜をかたどったポーズで記念撮影

もちろん1人でも、やりました

 

 

間宮林蔵の立像」です

間宮林蔵

江戸幕府の命を受けて、北方を探索し

1809年に海峡を発見して

樺太(現サハリン)が

島であることを発見したのだそうです

当時の世界地図の空白を埋める偉業だったとか

 

その海峡は日本では「間宮海峡」と呼ばれ

のちにシーボルト間宮林蔵の調査を評価し

著書『日本』でタタール海峡の最狭部を

「Str. Mamia seto 1808(間宮の瀬戸)」と

記載したそうです

 

そののちも、師の伊能忠敬の事業を引き継ぎ

蝦夷地の地図作成にも貢献したそうですよ

 

 

レンタカーちゃんの温度計では

なんと8℃!!

加えて暴風w

5月半ばだよ????ビックリするな〜

コート持ってきて良かった

 

 

住宅の裏山に

普通に鹿さんがおる

日本最北端の生息地ですね

 

 

立派なツノですね〜

今回ギリギリ角の生え替わりの季節中で

相方は、自然に落ちたツノを拾う、という

目標があったので

今、目の前で抜け落ちないかと見てましたが

ダメでしたぁあ 笑

 

売ってるんですけどね

自分で拾いたいんですって 笑

 

 

こちらは「平和の碑」ですって

1943年の10月11日

宗谷岬

アメリカ海軍と日本海軍との戦いがあり

双方沢山の死者が出たそうです

 

 

こちらは

「旧海軍望楼」です

 

この望楼は、1902(明治35)年に

ロシアのバルチック艦隊の動きを監視するために

旧日本海軍が建設したものです

 

1875(明治8)年に日本とロシアの間で

樺太千島交換条約」締結され

それまで両国民混住の地とされていた

樺太(現・サハリン島)が

ロシア領となったことから

急に国境となった宗谷周辺の緊張感は

想像に難くありませんね

 

 

日露戦争後は、無線通信基地として

太平洋戦争では対潜水艦監視基地として

使われていたそうですよ

 

 

今では、屋上にのぼったり

中に入ったりすることはできませんが

間近に覗くことはできます

 

 

望楼から、日本最北端の碑を

見下ろしたところ

 

 

現存する明治時代の建築物は

稚内市内では数少なく

1968(昭和43)年に

市の有形文化財に指定されたそうです

 

芝との対比が

なんだかラピュタ感ある

 

 

お花が咲いてました

Googleレンズさんによると

エゾエンゴサク」というお花だそうです

 

 

なんだか、オランダのような風景です

このあと人気スポットの

「白い道」に行こうかと言ってましたが

次の予定があったので、やめておきました

 

 

不思議な風景ですね

肉眼で見ると、なだらかに隆起していて

モコモコしてるんです

 

調べてみると

今から2万~1万年前に起こった

地球最後の氷河期「ウルム氷河期」に形成された

「周氷河地形」のひとつと言われているそうです

 

 稚内地方では

土が凍っては融け、融けては凍るという

現象を繰り返しているうち

傾斜地で流土(りゅうど)現象が起き

斜面の上の土がえぐり取られ

下の谷にそれが積み重なって

尾根と斜面がなだらかになり

小さい谷が作られ

このような地形になったのだそうです

 

北海道のいたる所で形成されたと思われますが

開発などで景観は失われ

今もしっかりと見ることができる場所は数少なく

2004年に

宗谷丘陵は北海道遺産に指定されたそうです

 

いやぁあーもう

見るとこが多過ぎて

とても回りきれませんね

 

まだまだ旅は続きますよ

今日も、読んでくださって

♡ありがとうございました♡